こんにちは、ひらりんです。
20年前に、2歳半と1歳前の子供ふたりを連れて、単身赴任中の主人のもとで3か月滞在した際のお話をまとめたシリーズです。
イングランド北東部、ニューカッスル・アポン・タインという街。気候の良いわずか3か月の間だけでした。帰国してすぐに体験記をまとめていたのを思い出したので、ブログに載せることにしました。
長女の英語学習の話の第2弾です。
3か月でバイリンガルに育てるのは無理でも・・・後編
英語ってこうやって身についていくんだ
7月も半ばになると、夏休みです。するとMothers & toddlers(教会などで行われている入園前の子供とお母さんたちの共同保育のこと)に、幼稚園や小学校へ通っている兄弟を連れて来る家族もあって、ぐっと人口密度が高まりました。
そんなある日、こんなことがありました。
N子と私は教会の庭でボール遊びをしていました。そこへ、ブロンドの髪が腰まで伸びたかわいらしい女の子が近づいてきました。キラと名のった少女は4歳。胸のところにギャザーがたくさん入ったノースリーブのワンピースを着て、 まさに絵にかいたような美少女でした。
ところがやることがえげつない。N子がコロコロと投げたボールをその子は取り上げ、とんでもない方へ思いっきり投げちゃったのです。N子はベソをかきそうになりましたが、すぐにボールを取りに走って行きました。ボールを持って戻ってくると、なんと、N子はキラの方に向かってボールを投げたのです。
ボールを受け取ったキラは、もう一回とんでもない方へボールを思いっきり投げました。
私ははっきりいってムカっときましたね。
「うちの子は犬じゃないのよ。意地悪でやってるのかしら、腹立つわ」
相手に日本語がわからないことをいいことに、N子に
「そっちに投げなくていいから、お母さんの方に投げて。お母さんと遊ぼ」
といいました。
ところがN子は、私の声がまったく聞こえない様子。いつのまにか、うれしそうにキラの投げたボールを取りに行っているのです。
そんなことを何度も繰り返しているうち、N子が他の子供たちの遊びに気を取られ、ボールを取りにいかなかったことがありました。キラはもちろん英語で、
「ボールあっちに行ったわよ。取りに行かないの?」
みたいなことをN子に言いました。
はっとしたN子はいま自分に言われた言葉をそのまま、聞こえたとおりに復唱してみせました。
すると、キラはうれしそうに走ってボールを取りに行ったのです!
!!!!!
思わず笑ってしまいました。キラは意地悪じゃなくて、純粋に遊びでやっていたことがわかりましたし、子供ってこうやって外国語を習得していくんだっていう瞬間をかいま見たような気がしました。
誰かが発した言葉に反応して、もう一人の誰かが動く。自分が発した言葉に反応して相手が動く。そういうことを見たり、体験したり、何度もくり返して、友達が発した言葉がどういう意味だったのか、いま自分が発した言葉がどういう意味だったのか、理解していくのでしょう。そこに何の日本語の解説もいらないのです!
大人だったら、というより私だったらこういうわけにはいきません。文法を確認し、意味を確認し、発音を確認しないと頭に入らないし、怖くて使えないと思います。
このころのN子は、テレビから発せられる言葉を、日本語だろうと英語だろうとぶつぶつとオウム返ししながら、言葉の吸収に余念のない時期でした。こんな時期に、子供だけの世界、例えば幼稚園なんかに彼女をポンと入れてしまえば、きっとたちまちのうちに英語を身に着けてしまうんだろうなと、少し悔しく感じました。
キラはN子のことが気に入っていたようでした。N子と私が先に帰ろうとしていたら、駆けよってきて「Bye bye!」と言ってくれました。
これも短いイギリス滞在の中のいい思い出の一つです。
日本人には日本語、イギリス人には英語
明日はもう日本に立つというニューカッスル最後の日。親子4人でぶらぶら近所を散歩しに出かけました。
毎日のように遊んだ、近くの公園のブランコも今日でお別れ。親は感慨にふけっているのに、N子はそんなことおかまいなく無邪気に遊んでいました。A男はベビーカーでおねんねです。
そこへ自転車に乗ったお父さんと女の子の二人連れが現れました。
N子と同じ歳ぐらいのその子は、N子を意識して最初は遠まきに、そしてだんだん近寄ってきて、しまいには一緒に遊んでいました。
一言の会話も交わされることなく、です。
女の子の父親に聞くと、名前はハナ、3歳で来月から幼稚園に通う予定なのだそうです。
私がN子に日本語で
「ハナちゃんっていうんだって。Nちゃんも名前教えてあげたら?」
と、言うとN子は何のためらいもなく、
「My name is Enuko.」
と、自己紹介しておりました。
ハナちゃんの方はすごい恥ずかしがり屋さんのようで、何の返事もしてくれませんでした。
そして再び、二人は言葉のない世界で楽しそうに遊びはじめました。すべり台の下を家に見立てて、二人で言葉を交わすことなくちょこんと座っていたり、どっちかが草をむしってすべり台の上からまき散らすと、もう一人がまねをしたりしていました。
言葉を媒体にしなければ人と親しくなれない大人とは違う子供たちを見ていて、心底うらやましく感じました。
別れ際にハナちゃんは、N子の肩を抱いて、右と左のほっぺにチュウをしてくれました。それでも二人は無言のままでしたが。
この二人のふれあいの中で、N子はしっかりと「英語」というものを認識していて、切り替えができていることもわかりました。
「名前を教えてあげたら?」と、日本語で言ったにもかかわらず、ちゃんと英語で名前を教えていたからです。外国人には英語を使うという切り替えができているのです。
日本に帰って来てからもそれは痛感しました。
空港に迎えに来てくれた祖母たちにN子は「ただいまー」と言ったのです。あれほど、「おばあちゃんに会ったらハローって言ってね」と言ってあったにもかかわらず。イギリスでだれかれ構わず「ハロー」「ハロー」と言っていたくせに、です。
N子なりの切り替えができていて、外人にしか英語が出てこないのでしょう。せっかくに身に着いた英語の感覚が帰国して消えていくのでは、とあわてて英会話教室を探して通わせることにしました。
見つけた教室は黒人の男の先生で、決して子供相手には日本語を話さないところでしたが、N子は楽しそうに通っていました。
たった3か月のイギリス滞在。バイリンガルになって帰ってくるには少し、というよりずいぶん短すぎましたが、それでもN子の英語習得にかなりの影響を与えてくれたと思っています。
その後の子供たち
20年前に書いた、子供たちの英語習得に関する文章はここまでです。
今や成人した二人。たった3か月のイギリス滞在が二人の英語力にどのように影響したか気になるところです。
帰国後にN子を週に1回、近所の英会話教室に通わせました。黒人の先生からN子は「COOL!」とよく形容され、教室見学の子がいると出席するよう頼まれるほどの看板生徒となりました。
幼稚園に入園する頃、ディズニーの英語システム(DWE)にも入会しました。
息子の方は言葉を発すること自体が遅く、2歳半ぐらいから少しづつという感じでした。最初は「ミ-」「ミー」と発していて、何のことかなと思ったのですが、「マミ-」の「ミ-」だったんです!
DWEの効果だったのです。色の名称も言いにくい紫を「パーポウ」と言っていて、このままいけば結構いい線行くんじゃないかな、と思ったんですが・・・・。
その後、引っ越しや中学受験やらで、英会話はおざなりになってしまいました。
大学入学までに娘は英検2級、息子は準2級の一次合格まででした。とびぬけて英語が得意ではなく、いたって普通に育ちました。
それでも、娘は小学生の時は韓国語にはまり、独学で勉強していましたし、大学は外国語学部のドイツ語学科。半年の留学でドイツ人の友達とおしゃべりできる程度には身に着けています。本当は大学で学びたかったのはアイスランド語。それは大学近くの語学学校で卒業後も勉強しています(今はオンライン)。語学や文字に興味を持つ子に育ちました。
息子の方は、日本語の語彙すら少なく、数学大好きに育ったので、英語は全然です。
たった3か月のイギリス滞在、子供たちの成長にどんな影響を及ぼしたのか、ひと言で言ってさほどの影響はなかったようです。息子は物心ついていない頃なので、ほとんど覚えていません。
でも、イギリスの風景の中で楽しそうに笑っている家族写真は、思い出という大きな財産にはなりました。
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