こんにちは、ひらりんです。
先日SNSで見かけた萩尾望都先生の「一度きりの大泉の話」(河出書房新社刊)を何も考えなしに購入しようとしたところ、竹宮惠子先生の「少年の名はジルベール」(小学館文庫刊)という書籍も目に入り、何とも懐かしい気持ちになり一緒に買い求めました。
それは、多感な時期を少女まんがに夢中になって過ごした私にとってかなりショッキングな内容でした。

竹宮先生の漫画とともにあった思春期の頃

私は小学校の高学年ごろから画用紙にGペンと墨汁を使ってまんがを描きはじめ、大学生であきらめるまで将来の夢はまんが家になることでした。
読んでいたまんがは「小学1年生」「2年生」といった今はもう廃刊になってしまった学習マンガからはじまり、「別冊マーガレット」「花とゆめ」「LaLa」と移行していきました。
そんな私が竹宮先生を知ったのは、友達の家に遊びに行ったときに見た少女コミックに連載されていた「ファラオの墓」です。そして、一緒に掲載されていた萩尾望都先生という名前も脳みそに刷り込まれたのだと思います。

「ファラオの墓」は1週分しか読んでなかったのに、私をトリコにしました。とても気になって、気になって仕方なかったのですが、その週刊誌のタイトルも忘れ、あのまんがはいったい何だったのか、まぼろしだったのか、記憶の中で薄れてかけていきました。


中学校に進学して、本屋で「ファラオの墓」の単行本を見つけたときは、なんとも懐かしい想いをしたことを覚えています。ずーっと昔に出会って別れた初恋の人のように、夢だと思ったあの淡い出会いは本当にあったんだと、現実だったんだと、うれしくてしょうがありませんでした。単行本を全巻そろえました。

「ファラオの墓」というお話は、古代エジプトを舞台に滅ぼされた小国エステ―リアの王子が、砂漠の民族の中で指導者「砂漠の鷹」として育てられ、やがて一大勢力を築き、自分の国を滅ぼした敵国の王と戦うお話です。

王子の名はサリオキスといいます。そのころ中学で「アンネの日記」を学習したのですが、私の日記は「サリオキスさまへ」で毎回始まるようになりました。
当時クラスで班ごとにコミュニケーションツールとして交換ノートを回していたのですが、私は自分の番で「ファラオの墓」の最初の部分に「エステーリア戦記」の冒頭の文章が書かれているのですが、それをつらつらと書き写したこともあります。

”夜、かの漆黒の闇の夜。エステーリアの国境(くにざかい)に火の手見ゆ。”で始まる文章なのですが、当時はノート1ページ分ほどを全部ソラで唱えることができました(今はこの1文のみ)。

今でいう初めての推しがサリオキス様だったのです。寝ても覚めてもサリオキス様の日々が続きました。そして竹宮先生の「ヴィレンツ物語」(ウィーンを舞台にした音楽家の物語)にも夢中になり、クラッシック音楽など聴かない子が聴くようになりました。大学では管弦楽部に所属し、チェロを弾くようになるんです。まんがの力はなんと偉大!
竹宮先生のまんがのキャラクターたちはみんな私の心の支えでいつも寄り添ってくれていて、身近な存在でした。

一方、萩尾望都先生の作品は作品全体の醸し出す雰囲気が今までの漫画とは全く違って見えました。小説というか芸術というか、次元がまるで違っているように感じたのです。
「ポーの一族」も「トーマの心臓」も30年たった今でも語り継がれる色褪せない名作です。少女まんが界の神様と称されるのもうなずけます。
私が好きなのは「11人いる!」そして、「百億の昼と千億の夜」(原作:光瀬龍)です。壮大な時間軸と思想哲学と複雑に絡み合う世界というか宇宙を、まんがで表現するというとてつもなく困難なことをやってのける、もう天才という言葉以外に萩尾先生を表す言葉はないでしょう。

ふたりのまんが家が一緒に暮らした大泉時代

その萩尾先生が「一度きりの大泉の話」という本を出版しました。
”この執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。”
帯にそう書かれていました。胸がざわざわします。
萩尾先生に何があった? そもそも大泉時代とはなんぞや?

私は自分の大好きなこのふたりのまんが家の仲がよければいいなと思っていました。いや、仲がいいんだと。それはたぶん「精霊狩り」シリーズに出てくる精霊のひとりが竹宮先生に似ていたからだと思います(事実、萩尾先生は「大泉の話」の中で、精霊のモデルは竹宮先生だと書かれています)。

おふたりに同じ雑誌に描かれている以外に接点があるのか気になったことがあります。
それは、竹宮先生のSFまんがの冒頭にあったエピソードを読んだときです。
「これなんか萩尾先生のSFにあったエピソードと似ていてる」と思ってしまったのです。
竹宮先生はそのエピソードは以前見た夢にヒントを得て描かれたものだと、なんかの取材で語っておられました。

私はおふたりの作品をすべて隅から隅まで熟読したわけではないし、おふたりの大ファンや編集の人たちが何も言ってないわけだから、問題のないことなのだろうと思いました。田舎の学生がひっかっかったことなんて、ただの思い違い。本当に失礼なことです。すみません。

でも、「大泉の話」の帯に書かれている文章を読んだとき、萩尾先生は怒っている、やっぱり盗作問題? と頭をよぎりました。

2冊の本が届いたとき、大泉サロンという言葉もかつておふたりが一緒に住んでいたということも何も知りませんでした。
さて、どちらから読もうかと思い、萩尾先生の方の目次を見ると「竹宮惠子先生のこと」とあるので、その章をまず一番に読みました。竹宮先生をとても良い印象で書かれてありました。安心しました。ゆっくりとした気分で竹宮先生の「少年の名はジルベスター」を先に読むことにしました。

「少年の名はジルベール」は竹宮先生の代表作である「風と木の詩」が世に産み出されるまでの若き少女まんが家の自伝でした。
少女まんが界に革命を起こしたいと考えていた竹宮先生の、若き日の焦りとジェラシーと、そういったドロドロした感情の物語。
そして、萩尾先生に「距離を置きたい」と言って、関係を絶ったという告白でした。

学生のころ夢中になってむさぼるようにして読んだまんがの裏側に、こんなにも感情のもつれあった物語が繰り広げられていたなんて、当時の私には想像もつかないことでした。

そして、萩尾先生の「一度きりの大泉の話」は、竹宮先生からの「距離を置きたい」という手紙を受けての心情を綴った本だったのです。

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少女まんがの革命

竹宮先生の気持ちはよくわかります。人間臭い人なのだと思いますレベルは違いますが、焦りや嫉妬、そして劣等感、何かをするときいつも私の心を感情をかき乱す厄介なものです。

萩尾先生は、薄くもろいガラスのような、些細なことですぐに割れてしまう精神の持ち主なのではないでしょうか? だからこそ生まれてくる作品ばかりですもの。
竹宮先生からの決別宣言は、身体をこわし神経を病み、しばらくまんがを描くことすらできなくなるような出来事だったようです。

竹宮先生は、それまでの少女まんが界にはなかった少年愛をテーマにしたまんがの第一人者です。今でこそBLというジャンルは市民権を得て、書店でも専門のコーナーがあるほど。
初めて少女まんがに掲載されたときは、それはそれはセンセーショナルなものでした。

でも、私にはなじめませんでした。「風と木の詩」の単行本を確かに私はそろえましたが、それからだんだんと竹宮先生のまんがからは離れていきました。
少年愛というテーマをまんがの世界に持ってくることはいいとして、少女まんがで少年同士であろうとも生々しい性描写を描くというのは、やはり私にはついていけないところがありました。
少年同士の友愛ならわかります。萩尾先生もそう書いておられました。同感です。

少女まんが界で革命を起こす―たぶんそれは、それまでの少女まんがが、星いっぱいの大きな瞳の女の子と背の高いイケメンとのラブストーリーばかりの陳腐なイメージがあって、そこから脱却したいということだったのではないでしょうか。文学のような。映画のような。深く精神世界まで描きつつ、リアリティも求めていた。
それは別に少年愛でなくてもよかったのかもしれません。

萩尾先生は、「革命を起こす」とたいそうに構えずに、するっとそれを成し遂げてしまった、と竹宮先生は感じてしまったのではないでしょうか。
「トーマの心臓」にしろ「ポーの一族」にしろ、今も少女まんが界の名作として語り継がれています。

高校生の時、図書館で哲学者プラトンの「饗宴」を借りて読んだことがあります。
世界史で習って興味を持ったからだったと思います。
そこに確か少年愛こそ崇高な愛の形であるみたいなことが書かれてあって、「あぁ、よかった。自分が読んでるまんがは決していやらしいものじゃないんだ。こんな偉い人にも認められている」と、安堵したことがありました。
でも、やっぱり私には少年愛をテーマにしたまんがはなじめませんでした。
ちなみに、世界史で習ったプラトンの著書をなぜ手に取り読もうと思ったかというと、萩尾先生の「百億の昼と千億の夜」にかわいいプラトンおじいちゃんが登場するからなのでした。

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私の娘も腐女子!?

少年愛をテーマにしたまんがは今や男性同士の同性愛を題材にしたBL(ボーイズラブ)というジャンルになり、広く少女、女性に受け入れられるようになりました。
BLを好む女性を腐女子というそうです。
腐女子という言葉も定着してきています。それだけ女性の心の中に男性同士の恋愛を見てみたいという欲求があったというわけです。

私の娘も腐女子でした。お気に入りの刀剣男士同士の恋愛を描いた2次創作を好んで読んでいます。
「そんなの好きなの?」と聞くと、
「お母さん、古~。何にもわかってないのね」といわれました。
「そんなことないよ。BLって昔お母さんが好きだったまんが家が初めて作ったジャンルなんだから」というと意外な顔。

そりゃそうです。実家に帰ると、いまだに増え続ける萩尾望都先生の著書(芸大卒の妹が今も買い続けている)を、娘はよく読ましてもらってはいるけど、私が集めた竹宮先生の本は一冊も目にしたことがないのですから。あのたくさんのまんがはどこへ行ったのでしょう。妹に捨てられたか? あえて私も聞かない。
遠い遠い青春の日々とともに、思い出の箱の中にしまってしまいました。

それでも娘は腐女子に育ちました。

45年も前に竹宮先生がいろいろなものを犠牲にし、並々ならぬ苦労と努力を重ね、重たい扉をこじ開けてつかみ取ったものは、大きく羽ばたいて現代を生きるたくさんの少女たちの救いになっているのでしょう。

ただ、割れてしまった薄い薄いガラスはもう二度と元には戻らないんだと思うと、残念でしかたありません。

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