こんにちは、ひらりんです。
この4月に長女が就職し、一人暮らしを始めました。
子育てって、あっという間の年月でした。

がんばりすぎた理想の子育て

長女は22歳。この春、大学を卒業して就職先近くのマンションで一人暮らしをするために旅立ちました。娘は、ドジっ子なのでちょっと心配ですが、心の優しい、バランスのとれた考え方のできる、精神的にはしっかりした女性に育ってくれたと思っています。
子育て成功!…と言いたいところではありますが、これは親の力でもなんでもないというのが実感ですね。ダメダメな親からこうも立派な子が育ったなという感じです。

私は理想の子育てをしようと思っていました。完璧を目指そうとしていたんです。
なんせ教育関連の仕事をしていたこともある私は、胎教から英才教育なるものまでいろいろと勉強済みでしたから。


年子の子供たちが乳幼児のころ、主人はイギリスに単身赴任をしていました。つまりワンオペ育児。
ヒッポの多言語テープを着かせながら、何時までに朝の支度をし、公園では何時間あそばせ、昼寝は何分、読み聞かせは毎日。夕食の時間も決め、寝る時間も決め、部屋もきれいにして、ってホントしんどかった。
自分で自分を追い詰めて、理想通りにいかなくて、結局子供たちにあたることもしばしば。大きな声でどなったり、手をあげることもしょっちゅう。
自分が思い描いていた子育てができなくて、毎日が自己嫌悪の日々でした。

こっちが怒ると子供たちはギャーギャー泣き出す。なもんで、こっちの声はますます大きくなり、怒鳴り散らすようになり、子供たちはさらに大声で泣き叫ぶ。もう、理性なんてどっかに吹っ飛んでしまってます。「いいかげんにしなさーい!」と叫んだとき、「ごめんなさい。いいかげんにします」と子供に返されたとき、今なら笑えますが、その時はカーァァと血が上るのがわかりましたね。

子供は子供、自分の分身じゃない

なんで、私はあのころ、あんなにもカリカリしていたんだろう。主人が自分の思い通りにならなくても別にそこまで頭には来ない。まぁ、腹は立つけど。それもしょっちゅう。でも、自分がなくなるまで怒ったりはしない。じゃぁ、なんだって自分の子供にはあんなに怒っちゃったんだろう。
たぶんひとりの人間として見ていなかったんじゃなかろうかと思います。
自分のおなかから出てきて、自分の一部、分身のように感じ、自分の思ったように動くものだと勘違いしてしまったんでしょうね。
そして、自分の理想の型にはまらない子供に対して、もどかしくて、イライラして、頭に来ていたんでしょう。
はっきり言って通報ものでしたもん。あの頃の私は。

でも、子供はちゃんと育ちました。こんな毒親の元でも。立派に。しっかりとした考えを持ったいい子に。
つまり、子供が育つのに、さほど親は関係ないんじゃないかと思うようになりましたね。そりゃ、親の影響は受けるでしょうけど、親を反面教師とするかとか、憧れとしてみるかは子供次第なわけだから、もともと持っている子供の資質の部分の方が大きいような気がします。
子供は子供、自分じゃない、一人の人間だと思って、肩の力を抜いてのんびり子育てすればよかったと、今なら思いますよ。
孫なら、自分が産んだ子じゃあないから、もう少し余裕ができるかも。

がんばって子離れしなきゃ

子供は自立していきました。
すると、なんと子供に寄りかかっていた部分が多かったのかということが、子供がいなくなってからしみじみ分かりました。

デジタル関係のことは古い頭ではなかなか受け入れられず、一緒に買ってもらったスマホも、先にマスターした子供に、あれこれ聞かないと新しいことができません。
そして何より、2.5次元の舞台の配信などは娘が購入したものを見せてもらっていたのに、娘がいなけりゃ観られないじゃない! ああ悲しい。なんとか自分で配信の購入方法を覚えなくちゃ。
できるかな。
がんばって娘のいない生活に慣れていきます。。

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