こんにちわ、ひらりんです。

この1月に、コロナウイルスが流行してから初めて電車に乗って遠出をしてきました。

東京、池袋に観劇に行ったのです。

電車に乗って遠出をするのは2年以上ぶり。

演劇を観に行ったのは娘が出演した子供ミュージカルを地元の市民文化ホールに行ったのが最後。

実に13年ぶりです。

そこで、今日は荒木宏文さん主演の「天使は桜に舞い降りて」を観に出かけていろいろ思ったことをまとめてみました。

white flowers in bloom

演劇・ライブは人の心を躍らせる

昨年の秋に「天使は桜に舞い降りて」という舞台が1月にあると発表があった時、新型コロナは収束傾向にありました。

娘が観にいこうと誘ってくれてチケットも取ってくれました。

娘は主演の荒木宏文さんのファンなんです。

もう、電車に乗ってお出かけなんて何か月ぶりだろ。

どの服を着て行こう、靴は? かばんは? コートは?

おしゃれをして外出するって、考えただけでも、こんなにワクワクするものなんだ!

この感覚、忘れていました。

外出を自粛し続けていたからこそ、うれしさも倍増です。

演劇に限らず、エンターテイメントには人の心をウキウキと舞い上がらせてしまう力があるんだと思います。

だからこそこんなご時世でも、何とか届けようとする人たちがいて、何とか観にいこうとする人たちがいるんだと思います。

推し活ということばがあります。

推しのための活動を思う存分にするために、日々の生活を頑張っている人たちがいます。

ツイートを見ていると、世間の荒波や、世の中の不条理に耐えているたくさんの人たちが、自分の推している俳優やアーティストの舞台やライブのために頑張って生きて行こうとつぶやいているのをよく目にします。

舞台の日までは頑張って生きる! そのためのお金を稼ぐためにいやな仕事でも毎日耐え忍んでいく! というツイートが、若いお嬢さんたちを中心によく見受けられます。

推し活というのも、テレビなどの映像というのではなく、実際に観にいくライブや舞台に多いように感じます。

つまり、生のエンターティメントは暮らしに潤いを与えるだけではなくて、人によっては生きるための活力を与えてくれる、なくてはならないものなのでしょう。

horning angel statuette

演劇を生で見ることの意味

娘は初めて荒木宏文さんの舞台を生で観ることができました。

DVDや配信しか観たことがなかったのです。

生で観るということは、同じ空間に存在すること、セリフが、歌が、その場の空気に振動して自分の耳に伝わること。

その体験に感動してしまったようです。

「そこに、荒木さんがいたんだよ。 すぐそばに!

セリフを言って、歌をうたって、殺陣をして、その風圧が直に伝わるの、すごくない⁉」

私にも経験があります。

20代、独身の頃に友人と劇団四季の「オペラ座の怪人」を見に行った時のことです。

男女が二人抱き合うシーンに、人の触れ合う温かい感触までが伝わってきて、なんとも言えない感動を覚えたことがありました。

そりゃテレビや映画でいくらでもラブシーンぐらい見たことはありましたよ。

でもそれはテレビ画面などのフィルターを通してみる映像。

10代の頃、親に連れて行かれて観た宝塚歌劇団に影響されて、「自分も宝塚に入るー!」と言っていた幼い時代とは違う多感なお年頃。

娘も同じ感動を覚えたんでしょうね。

テレビでも映画でもない、舞台を生で観ることの、空気の振動を胸で感じ取るあの感動を。

pink flowers tree

どんなに時代が進んでもなくならない舞台

時代劇を見ると、えらいお殿様が客人を迎えるとき、庭に舞台をしつらえて舞を見せながら一献というシーンがあります。

この時代はテレビがなかったからね。

まぁ、現代だったら金持ちはルームシアターなんかがうちにあって、ワイン片手にお客さんと観たりするんだろうな、と思ってましたが、ちょっと違う気がしてきました。

大昔なら、ギリシャ時代から円形劇場で舞台なるものはあって、その時代や国によって形は違っても、どんなに時代が進んで科学が進歩しても、やっぱり舞台やライブはなくならない。

それはなぜなんでしょう?

やっぱり生で観ることの感動に尽きるのだと思います。

テレビや映画ではなくて。

2.5次元というジャンルがあります。

マンガやアニメのキャラクターを実際の俳優が演じている舞台です。

娘もそのジャンルにはまっています。

それだったら、「銀魂」の実写版の映画だって2.5次元っていうんじゃないの?

「銀魂」の坂田銀時役の小栗旬さんだって2.5次元俳優じゃないの?

と、娘に聞いたことがあるのですが、それは違うそうです。

マンガが実写版になっても、それが映画やテレビドラマでは2.5次元にはならないのだそうです。

2次元のキャラクターが3次元になっていないといけないのです。

映像は3次元ではないのです。

自分のお気に入りのキャラクターが目の前に実際にあらわれて動き、しゃべることの感動がそこにあるのだそうです。

つまり、紙の中だけの憧れの存在が、自分と同じ空間で同じ空気を吸っていることが素晴らしいというのです。

やっぱり、舞台というものはいつの時代でも必要なものなのでしょうね。

angel art black and white clouds

演劇「天使は桜に舞い降りて」を観劇して…

さて、「天使は桜に舞い降りて」はどんな舞台だったかというと、

毛利恒宏氏という劇作家、演出家および脚本家のオリジナル作品。

その毛利氏が立ち上げた演劇ユニット、“演劇の毛利さん–The Entertainment Theater” の記念すべき第1回目の演目です。

『桜』の物語から生まれる『再生』をテーマにした作品。そのあまりの美しさは、時に人間も天使も狂わせる。儚く、そして、切なく。繰り返される『絶望』と『再生』の物語。厳しい状況を乗り越えて新たに生まれる “演劇”をお届けします。―桜が咲く…満開の桜が。また、みんなで笑いあえるかな。

このような紹介がされていました。

ビジュアル公開の際も、あまりの美しさに、桜の精なのか桜に舞い降りた天使なのか、ため息がついたものです。

人間が自らの愚かさゆえに滅びかけている世界で、人間とはこのまま滅ぶべき存在なのか、再び復活していくべき存在なのか、見極めるために神様から使命を受けた二人の天使。

絶望がゆえに咲かなくなってしまった桜の木の下で、人間とは……素晴らしい生き物なのか、どうなのかの判断を下すべく物語が展開されていきます。

観劇前にこういう情報が入ってきました。

こんな時期の舞台です。

きっと、人間は素晴らしい、明るく桜を満開にしてめでたく終わるお話なんだろうと想像していました。

ところが、そんな単純なお話ではありません。

筋が想像できれば面白くないじゃないですか。

私の感想は「?????」でした。

なんか、思ってたのとちがう―!  という感じでした。

SNSを見ると観劇し終えた人たちがそれぞれの考察をいろいろとのせていました(ネタバレになるのでフセッターをつかったりして)。

人によってとらえ方が変わってくる、それもまた一筋縄ではいかない演劇、という感じでよかったです。

冬の日の休日。 娘といっしょに演劇を見に行ったときのお話です。

荒木宏文さんにふれている記事 https://hirarin.blog/toukennrannbu もあわせて読んでくださるとうれしいです。

また、「天使は桜に舞い降りて」の舞台は終わってしまっていますが、ご興味のある方はブルーレイの販売があります。

2月6日には好評に応えて再度配信があります。

詳しくは ホームページ http://www.shachu.com/e_mouri01/ を参照してください。 

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